地域公共交通の変遷

鉄道の歴史

JR線・遠鉄線・天浜線と、廃線となった軽便鉄道の歴史を紹介

浜松には3路線の鉄道があります。1880年に「東海道本線」が開通し、1909年に「遠鉄西鹿島線(大日本軌道)」が開業し、既に100年以上が過ぎています。1940年には「天竜浜名湖鉄道」が開通していますが、戦時に東海道本線が不通となった場合のバイパス線として建設されたことでも知られています。一方、開業後30年~50年で廃線となった鉄道が3線あります。奥山線については、「残しておけば良かった」と惜しむ声も聞かれます。

浜松都市圏を運行する鉄道3路線と、廃線となった鉄道3路線

廃線となった鉄道

奥山線

「遠州鉄道奥山線」は、浜松と奥山を結ぶ25.7kmの電車で「軽便」と呼ばれていました。1914年に開業し、住民や奥山方広寺への参拝客に利用されましたが、沿線人口が少なく貨物輸送も低調で、累積赤字のため1964年に50年の歴史に幕を閉じています。

軽便(奥山駅構内)
(浜松市の110年より)

笠井線

「浜松電気軌道笠井線」は、遠州電気軌道(現在の遠鉄線)の遠州西ケ崎と遠州笠井を結ぶ2.4kmの軽便で1914年に開業。軌道自動車(ガソリンカー)を運行していましたが1944年に廃止。1937年当時には115,000人/年が利用していました。

軽便(西ケ崎駅)
(右が軌道自動車)

中ノ町線

「浜松電気軌道中ノ町線」は、浜松駅と中ノ町を結ぶ7.2kmの軽便で1909年に開業。小型蒸気機関車が客車を曳いていましたが、昭和初期に軌道自動車に替わっています。バスの進出により1937年に廃止。廃止当時の利用客は496,000人/年と記録さています。

馬込橋をわたる軽便

現存する鉄道

JR東海道本線

浜松駅は旧国鉄浜松駅として1888年に開業。1945年の浜松大空襲で駅舎が焼失しましたが、1948年には復興。その後1964年の東海道新幹線開通に伴い、高架化され現在の駅舎に生まれ変わりました。

現在の浜松駅

遠州鉄道西鹿島線(通称:赤電)

新浜松と西鹿島駅を結ぶ17.8kmの鉄道で1909年に開業。単線ながら毎時上下とも5本を運行しており2019年には利用客数1,029万人を記録しています。全18駅のうち新浜松駅~上島駅間は高架化されており、西鹿島駅で天竜浜名湖鉄道と接続しています。

遠鉄赤電車両

天竜浜名湖鉄道(通称:天浜線)

掛川と新所原を結ぶ全線67.7kmの鉄道で、1940年に旧国鉄二俣線として開業した非電化の路線。1987年に第三セクター「天竜浜名湖鉄道」に移管。利用客数はピーク時の227万人/年から150万人/年台に減少、赤字補填のため県から財政支援を受けています。

天浜線車両

【参考資料】

「地域公共交通の変遷」
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